ニューヨーク、Mutual Tradingの会議室で、南部美人の蔵の話をしていた。営業の皆さんに、和牛との相性がいい「ビューティーシリーズの心白山田錦純米大吟醸」を試飲してもらいながら、岩手の蔵の話をする。ふだんと同じやり方で、ふだんと同じことを話している。それなのに、口を動かしているうちに、最初にこの街に酒を持ってきた日のことが頭をよぎっていた。

NY Mutual Trading の全体会議。蔵の話と、和牛と心白山田錦純米大吟醸のペアリングを語った

 ニューヨークは、南部美人がはじめて海外に酒を出した街だ。私自身も、これまでいちばん何度も足を運んできた街でもある。いちばん思い入れの深い街と言ってしまっていい。だから戻ってくるたびに、最初の景色をどこかで思い返してしまう。

 ミシュラン1つ星の和食レストラン「TSUKIMI」に向かった。オープンの時から、ずっと南部美人を使い続けてくれている店だ。いまでは在庫がほとんど残っていない、珍しいラベルも、かつての縁のままレギュラーで置いてくれている。オーナーシェフの秋山さんと、スタッフのカレンさんに迎えてもらった。ペアリング付きのおまかせ懐石をいただきながら、椎茸の出汁を含ませたステーキに、オール麹仕込みの濃厚な日本酒を合わせる。これが想像のずっと上をいく相性だった。

ミシュラン1つ星 TSUKIMI、オープン時からずっと南部美人を使ってくれている

 お店が閉店したあと、スタッフのカレンさんがグリーンカードを取得したお祝いの飲み会にも、混ぜていただいた。お酒を長く置いていただくとは、結局のところ、こういう積み重ねなのだろう。料理と酒の話だけではなく、その店で働く人たちのその日その日に、こちらも混ざらせてもらう。それを何年も続けて、はじめて「ずっと使い続けています」という言葉に重みが出てくる。

 翌日、100席を超える大きな和食レストランで、南部美人だけのフェアを開いた。蓋を開けてみると、8割近いテーブルから南部美人の注文が入った。これまでやってきたフェアでも、ここまでの数字は珍しい。注ぎながらテーブルを順番にまわっていると、ふと、最初にニューヨークの店で「じゃあ、とりあえず置いてみるよ」と言われた日のことが浮かんできた。あの日の自分に、いまの景色を見せてやりたい。

 別の日には、ミシュラン2つ星の和食懐石「ODO」が運営するギャラリーで、南部美人だけを並べた1日を組ませてもらった。世界の作家の作品が壁に並んでいて、その絵を眺めながら、ODOの料理と日本酒を楽しめる場所だ。3種類の南部美人の日本酒とリキュールを用意した。予約でいっぱいの店内で、ほぼ全部のテーブルから注文が入って、なかには720ミリリットルを1本、お土産として買って帰られる方もいた。テーブルを順番にまわって、自分の手でお酒を注ぎながら、岩手の話をする。

ミシュラン2つ星 ODO のギャラリーでの南部美人の会

 いちばん予想していなかった景色は、ブルックリンで待っていた。「唐獅子牡丹」という店だ。オーナーの鐘ヶ江さんと、パーソナルシェフの安倍さんが、私の訪問にあわせて、私のためだけに「南部美人を使ったラーメンコース」を組んでくれていた。長くこの仕事をやってきたが、こんなことは、これまで一度もなかった。鐘ヶ江さんに、何度もお礼を伝えた。

ブルックリン「唐獅子牡丹」、私のためだけに組まれた南部美人ラーメンコース

 最後の夜は、ニューヨークのサケバー「ASOKO」で締めた。深夜1時を過ぎているのに、外まで列ができていた。ニューヨークの日本酒に関わる人たち、MTCのメンバーと、グラスを合わせる。最高の夜だった。

 気づくと、最初に酒を持ってきた頃の景色は、どこにも残っていなかった。ひとりで荷物を引いて店をまわっていた頃と、いまの景色では、登場人物がほとんど入れ替わっている。それでもニューヨークでは、最初に置いた酒が、街じゅうで動いていた。秋山さんの厨房、ODOのギャラリー、ブルックリンのラーメンコース、深夜のASOKOの列。自分が動かしたつもりの景色が、もうこちらの手を離れて、自分のスピードで動いていた。

 原点に戻る旅は、結局のところ、原点が自分の手を離れているのを確かめる旅だったのかもしれない。寂しい話ではない。むしろ、ここまで来られてよかった、という気持ちのほうが強い。最初に置いた酒に、もう一度ちゃんと挨拶できた気がする。

 次はまた、別のどこかだ。