ボストンの会場に着いたとき、屋台の前に20人、50人と人が並んでいるのが目に入った。ラーメンも、たこ焼きも、和牛も、日本食の屋台のどれにも、長い列ができていた。ラーメンは普通サイズの半分くらいで、25ドル前後だった。それでも列が縮まる気配はなかった。

私が知っているボストンは、図書館とレンガと、静かなキャンパスの街だった。屋台に行列ができるような景色とは違っていた。
ただ、これがいまのボストンなのだと、滞在中にだんだんわかってきた。学術都市というイメージは、間違ってはいない。ハーバードもMITもある。アメリカのなかでも歴史と伝統文化が色濃い、数少ない街のひとつだ。けれど、その学術都市が、いまや製薬企業の集積地でもある。世界に名の通ったバイオテック企業がここに集まり、人も金もぐるぐる動いている。南部美人の特別純米酒が並ぶ和食店のレベルは全米でも有数だと、現地の人たちが口を揃えて言う。ニューヨークのすぐ隣にありながら、ニューヨークとは別の評価軸で、日本食がこの街で育っていた。
ボストンジャパンフェスティバルの2日目、在ボストン日本国総領事館のカルチュアリーブースで、日本酒とグラスのセミナーをやらせてもらった。木本硝子の木本社長と一緒だ。グラスを変えると、同じ日本酒の表情がぜんぶ変わる。江戸切子から無色の薄手まで何種類も並べて、目の前で飲み比べてもらった。

セミナーは満席だった。1個600ドルする黒い江戸切子が、想像していたより速いペースで売れていったのを、横で見ていた。夜は寿司レストラン「SUSHI BOSSO」で、試飲会を開いた。外まで列ができるほどの人気で、用意した酒は早い時間にすっかり空になった。
翌日は、高橋総領事に同行していただいて、マンダリンオリエンタル ボストンを訪ねた。日本酒とグラスのイベントをここで開けないか、相談に行った形だ。セールスマネージャーのアレックスさんが、ひと通り試して、興味を示してくれた。具体的に動かす話を、これから詰めていくことになる。
公式の場だけが動いていたわけではない。
日本のスシローが新しく展開する寿司居酒屋「杉玉」の海外第1号店は、ボストンにあった。ニューヨークでもロサンゼルスでもなく、ボストンを選んだ。理由は現場で答えが出た。すでに南部美人もメニューに入っていて、地元のお客さんがふつうに頼んでいた。海外第1号店として、これだけ自然に組み込まれている景色を見たのは、はじめてに近い。

最終日の夜は、日本食レストラン「Youji's」で締めだった。「和食ルネッサンス」を掲げて、伝統と現代を行き来する店だ。ボストンの有力レストランのオーナーやシェフが何人も集まってくれた。最高に盛り上がる夜になった。

学術都市の重さと、日本食が走る速さが、同じ街で同時に動いていた。総領事館の公式セミナーで日本酒を語っている自分と、街角の杉玉で南部美人がカジュアルに飲まれている景色と、ほぼ同じ日に両方を見たことになる。
どちらか片方では、街は動かないのだろう。公式が信頼の枠を作り、民間がそこに人と熱量を注ぎ込む。両輪で動いて、はじめて屋台に20人、50人の列ができる。
ボストンを離れる飛行機のなかで、屋台に並んでいた人たちの顔を、もう一度思い返した。学術都市というラベルは、もう半分しかこの街に合っていない。次に向かったのはシカゴだった。10年ぶりの街だ。ボストンで見た景色を頭の片隅に置いたまま、私はまた次の街へ向かった。
その話は、次回。